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LastUpdate 2024年5月5日 更新履歴

三宅島の
文化財


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三宅島の
為朝伝説


フォーサーズ残党秘密基地

TruePicの進化

外部リンク

その他
参考文献等

三宅島に神社は多いのか

探訪記
 1 本陣(農工大生の定番だった食堂)

2 三宅城跡に行ってみた。

3 小金井小次郎の碑

4 三嶋大社〜廣瀬神社〜白濱神社

5 伊豆岬灯台百周年記念式典

6 お台場ガンダム

7 鉄人28号

8 三嶋鴨神社と溝咋神社

9 多摩の「七ツ湯」を探して

10グンダリ山はどっちだ?

渡り鳥条約について
トップページ写真:白濱神社 大明神岩の赤鳥居(静岡県下田市)

三宅島の文化財

文化財の名称は、官報、東京都公報及び東京都文化財総合目録(平成22年3月 東京都教育庁地域教育支援部管理課))によった。概要や解説について参考にした図書全般については、参考文献等のページへ。

三宅島の有形文化財

国指定重要文化財 美術工芸品(彫刻)
写真 名称  概要 所在地など
銅造観音菩薩立像 坪田の海蔵寺(浄土宗)に祀られている、奈良時代の仏像。毎年1月16日と8月16日とに公開されるらしい。昭和32年2月19日文化財保護委員会告示第2号で指定(昭和28年11月10日に都重宝(彫刻)「銅造観世音菩薩立像」に指定されていたが、国重文指定により、昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第4号で指定を解除。)。  海蔵寺
東京都指定有形文化財(彫刻)
 写真 名称  概要  所在地など 
木造楽面 1月8日の御祭神社(伊豆)の神事で使われるヒノキ製の面。室町時代の作。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定(指定されているのは2面。)
三宅島郷土資料館
木造薬師如来座像
菊池民部作(薬師堂安置)
御祭神社(伊豆)の境内にある薬師堂(東光山満願寺)に祀られている薬師如来像。江戸時代の作だが、平安時代の旧像の一部が内部に納められているほか、両手首などは旧像のものが流用されている。頭内部に元禄12年(1699年)2月大仏師法橋民部作の銘がある。
付 木像仏頭残欠1箇、造立趣旨木札1枚、位牌木札1枚
昭和51年1月16日東京都教育委員会告示第1号で指定。
 薬師堂
東京都指定有形文化財(工芸品)
 写真 名称  概要  所在地など 
銅製鍍金銚子
(どうせいときんちょうし)
神事で御神酒を注ぐために使われた銚子。元は金メッキが施されていたようだ。柄には菊の御紋が入っている。鎌倉時代の作。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。 御笏神社
銅製提子
(どうせいひさげ)
神事で御神酒を注ぐために使われた提子。「カンナベ」「ヒサゲ」とも呼ばれる。室町時代の作。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。
陶製黒釉瓶子
(とうせいこくゆうへいし)
神事で御神酒を注ぐために使われた瓶子。瓶子とは徳利(とっくり)のこと。黒い釉薬をかけた古瀬戸で、鎌倉時代の作。口が欠けているのが残念。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。
東京都指定有形文化財(工芸品・考古資料)
 写真 名称  概要  所在地など 
銅鏡
 菊花双鳥鏡 ほか
伊豆の神沢神社が所蔵する、平安時代末期〜室町時代の銅鏡33面。 昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  
銅鏡
 菊花双鳥文
伊ヶ谷の后神社が所蔵する、鎌倉時代の銅鏡1面。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定   后神社
銅鏡
 鸚鵡双綬鏡 ほか
神着の御笏神社が所蔵する、鎌倉・室町時代の銅鏡11面昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。 御笏神社
銅鏡
 籬ニ菊双鳥鏡 ほか
神着の個人が所蔵されている、平安時代末期〜室町時代の銅鏡4面昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  
銅鏡
 蓬莱双鶴文
坪田の個人が所蔵されている、鎌倉時代の銅鏡1面。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  
銅鏡
 山吹双鳥文
坪田の個人が所蔵されている、平安時代末期の銅鏡1面。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  
銅鏡
 
山吹双鳥文
坪田の個人が所蔵されている、鎌倉時代の銅鏡1面。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  
銅鏡
 松喰鶴鏡 ほか
坪田の二宮神社が所蔵する、平安時代末期〜室町時代の銅鏡18面。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  二宮神社
東京都指定有形文化財(古文書)
 写真 名称  概要  所在地など 
三宅島民政資料 東京都が所蔵する、江戸時代の古文書。303冊・172通。
昭和27年11月3日に都重宝「三宅島史料」に指定。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第4号で指定解除して、同日東京都教育委員会告示第3号で都郷土資料に指定の後
昭和52年4月5日東京都教育委員会告示第17号で指定解除して東京都指定有形文化財(古文書)「三宅島民政資料」として指定。
東京都三宅支庁
三宅島民政資料 個人が所有されている、江戸時代〜明治時代の古文書。107点。昭和52年4月5日東京都教育委員会告示第18号で指定。  
三宅村指定有形文化財(建造物・絵画・彫刻・工芸品)
 写真 名称  概要  所在地など 
  さかえばし 平成26年11月7日指定 伊ヶ谷 
  伊奈兵右衛門の墓碑 令和3年3月1日指定 神着
善光寺式阿弥陀如来像 平安時代(長元5年(1032年)に、高麗国から漂着したものといわれる仏像。伊豆の普済院に安置されている。昭和47年2月20日指定。  普済院
普済院銅鉦 江戸神田の住人である、大田駿河守藤原政義の作品。昭和47年2月20日指定。  普済院
ヨイト船 個人が所有されている、江戸時代の御用船の模型。昭和47年2月20日指定。
三宅島郷土資料館
刀剣 個人が所蔵されている、菊紋伊賀守藤原金道 作の刀剣。文化10年(1813年)の流人が持参したもの。昭和47年2月20日指定。  
御笏神社御刀 御笏神社の主祭神の夫神である事代主命が、三宅島に渡ってきた大蛇を斬るために鍛えたもの、と伝えられている。昭和47年2月20日指定。  御笏神社
三宅村指定有形文化財(書籍・典籍)
 写真 名称  概要  所在地など 
井上正鉄の書 天保14年(1843年)に三宅島に入流になった井上正鉄が、弘化2年(1845年)正月に羽織の裏に書いた句。昭和47年2月20日指定。  
小金井小次郎自筆証文  小金井小次郎の借用証文。昭和47年2月20日指定。  

三宅島の無形民俗文化財

東京都指定無形民俗文化財(風俗慣習)
 写真 名称  概要  所在地など 
三宅村坪田のヨミンチャラ 家移り(やうつり。家を新築して移ること。)の前夜に行われる祝賀の儀式。昭和53年3月16日東京都教育委員会告示第9号で指定。 三宅村坪田郷土芸能保存会
富賀神社の巡り神輿 2年に1度、8月4日から9日まで行われる、富賀神社の例大祭の祭礼行事。神輿が、島内の旧5村(阿古村、伊ヶ谷村、伊豆村、神着村、坪田村)に1泊しながら順次受け渡されて、島内を巡行するという、全国でも極めて特異な形態を維持している。平成24年3月21日東京都教育委員会告示第18号で指定。 富賀神社巡り神輿保存会
東京都指定無形民俗文化財(民俗芸能)
 写真 名称  概要  所在地など 
御祭神社の神事 毎年1月8日に執り行われる、御祭神社(伊豆)の例祭の神事。近年は行われていない?昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  御祭神社
御笏神社の神事 毎年10月10日に執り行われる、御笏神社(神着)の例祭の神事。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。  御笏神社
三宅島の歌と踊 三宅島内各地区の歌や踊りが、多種多様に指定されている。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で指定。昭和45年8月3日東京都教育委員会告示第33号、昭和53年3月16日東京都教育委員会告示第9号で追加指定。
神着: 走り舟・ばんば踊・恋し踊・奴踊・伊勢音頭・殿さ・絵島・姉ヶ潟・神津節・島節・お万かがみ・木遣太鼓
伊豆: くどき・どうつき・子守唄・島節
伊ヶ谷: 獅子舞・くどき・ロットン節・島節
阿古: 祝儀・絵島・神輿木遣・祭の数え唄・島節
坪田: 盆踊・走り船・祝儀・島節・絵島・観音丸木遣節・観音丸上下節
三宅村郷土芸能保存会
 その他、1978年(昭和53年)に、文化庁により、「三宅島の神事」が記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。

三宅島の史跡

東京都指定史跡
 写真 名称  概要  所在地など 
三宅島ココマ遺跡 崖下にある、弥生時代人が居住していた遺跡。弥生式文化中期の土器や、今は三宅島にはいないイノシシ・シカの遺物も出土している。昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第3号で都旧跡「ココマ遺跡」に指定の後、平成元年3月24日東京都教育委員会告示第12号で種別及び名称を変更 坪田
1,996平方メートル
三宅島役所主屋1棟ほか 江戸時代後期の建物。伊豆諸島に現存する木造建築物では最古最大のもの。カンナを使わず、手斧で仕上げられている。材はすべてスダジイ。現在も人が住まわれている。昭和57年3月26日東京都教育委員会告示第10号で指定。  島役所跡
917.63平方メートル
三宅島大里遺跡 弥生時代中期の集落遺跡。島しょにおける弥生文化の様相を典型的にあらわしている。調査では、土器、磨製石斧、石皿などが大量に発掘された。昭和58年5月6日東京都教育委員会告示第21号で指定。 坪田
2,697平方メートル

三宅島の旧跡

三宅村指定旧跡
 写真 名称  概要  所在地など 
竹内式部の墓 江戸中期の国学者である竹内式部の墓。竹内式部は、明和4年(1767年)に八丈島に流罪になる途中、船中で発病し、伊ヶ谷で病没した。昭和47年2月20日指定。  大林寺
不受不施派僧の墓 「信仰のない者からは一切の施し物を受けない、無縁の者には一切の施しをしない。 」という教えを堅く守り、徳川幕府に弾圧されて、三宅島に遠島された僧侶たちの墓。昭和47年2月20日指定。
伊ヶ谷(都道そば)
小金井小次郎の首斬り地蔵 小金井小次郎が、侠客肌を出して首を切り落としてみせた地蔵。この後、普済院の住職の戒めで反省し、曽利川の墓地に別途地蔵尊を建立した。首を切られた地蔵は、普済院の名物となって現在に至っている。昭和47年2月20日指定。  普済院
井上正鉄の墓 禊教の教祖である井上正鉄の墓。井上正鉄は、天保14年(1843年)に三宅島に入流になったが、島民を教導したり医療を施したりし、また、伊ヶ谷の泉津に水源を開発したりした。嘉永2年(1849年)没。昭和47年2月20日指定。
禊教三宅島支部
生島新五郎の墓 歌舞伎役者の生島新五郎の墓。1500人ほどもが処罰された風紀粛正事件「絵島生島事件」により、三宅島に流罪になった。昭和47年2月20日指定。  
大林寺そば
小金井小次郎建立の地蔵尊  小金井小次郎が、侠客肌を出して地蔵の首を切り落としてみせた後、普済院の住職の戒めで反省して、建立した地蔵尊。背中に、小次郎の名があるらしい。昭和47年2月20日指定。
曽利川墓地(伊豆)
小金井小次郎井戸  水に悩む島民のため、小金井小次郎が私財を投じて造った貯水槽。昭和47年2月20日指定。 伊豆(伊豆郵便局や伊豆老人福祉館の裏手)
処刑場跡 島抜けの罪を犯した流人が処刑された場所。現在は、大林寺(伊ヶ谷)のコンクリート敷き駐車場のようである。昭和47年2月20日指定。  
大林寺そば

三宅島の天然記念物

国指定天然記念物

 写真 名称  概要  所在地など 
カラスバト  伊豆諸島・南西諸島や、九州・中国・四国・韓国などの島しょに生息する留鳥。ねぐらにスダジイ林などを利用する。 昭和46年5月19日文部省告示第141号で指定。  
アカコッコ 伊豆諸島やトカラ列島に生息する、日本の固有種。三宅島が代表的な生息地。昭和50年2月13日文部省告示第12号で指定。  
カンムリウミスズメ 日本近海と韓国南部の離島や岩礁で繁殖する。三宅島では、沖合の三本岳(大野原島)が繁殖地として知られている。昭和50年6月26日文部省告示第104号で指定。  三本岳
イイジマムシクイ 伊豆諸島とトカラ列島に、夏鳥としてやってくる。三宅島にやってくるのは3月頃。昭和50年6月26日文部省告示第104号で指定。  
注:ユノミネシダは天然記念物ではありません。

東京都指定天然記念物

 写真 名称  概要  所在地など 
神着の大ザクラ 神着の勤労福祉会館の敷地にあるオオシマザクラ。幹周り4.5m、樹高8m。幹の形状がかなり特異。昭和11年3月4日に「霊社のサクラ」として指定の後、昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第5号で名称を変更。
東京都三宅勤労福祉会館
ビヤクシン  三宅島役所(都指定史跡)の庭、御笏神社の参道沿いにあるイブキの巨木。2又に分かれているためか、幹周りは約7mもある。樹高も約23mあり、写真に写し撮るのも一苦労する。昭和11年3月4日指定。  島役所跡
三宅島椎取神社の樹叢と溶岩流  古い溶岩流にスダジイ・タブが繁茂し、新しい溶岩流にオオバヤシャブシなどが見られていた。しかし、平成12年の噴火による降灰・泥流で被害を受けてしまった。泥流を誘導する砂防施設が区域内に設置されており、椎取神社の社殿・鳥居が泥流に埋まるなど、往古とは景観が変化しているようだ。昭和60年3月18日東京都教育委員会告示第10号で指定。  椎取神社

151,835平方メートル
迷子椎 大路池の園地に向かう車道沿いにある、特異な形状のスダジイの巨木。噴火を司る神が宿る神木であるという。樹齢は約750年。大路池の密林に迷い込んでも、この木を目標にすれば助かる、ということで「迷子椎」の名がある。
大路池近く
 昭和11年3月4日に御祭神社の境内の「堂山のタマクス」が指定されていたが、主幹が腐って地上約2mから折れたため、
昭和32年2月21日東京都教育委員会告示第4号で指定を解除されている。

 また、昭和11年3月4日に同じく御祭神社境内の「堂山のシイ」が指定されていたが、令和2年6月8日に折れて
倒れていることが確認され、令和3年3月19日東京都教育委員会告示第14号で指定を解除されている。

三宅村指定天然記念物

 写真 名称  概要  所在地など 
大路藻(タイロモ) 昭和12年に発見された、三宅島(大路池)にしか生育していない、珍しい水草。ヒルムシロ科のササバモの1変種。昭和58年の噴火で大量の降灰があり、それ以降見られていないようだが・・・?昭和47年2月20日指定。  大路池
普済院の大桜 伊豆諸島に薬草採取に来た、医師で本草学者の田村元長(たむらげんちょう。号で田村西湖(たむらせいこ)とも呼ばれる。)が植えた桜。昭和47年2月20日指定。  普済院
普済院の蘇鉄 同じく田村元長が植えた蘇鉄(そてつ)。なんだか小さいが、元は大きかったものが噴火の影響を受けたのだ、とも聞く。詳細はまだ確認できていない。昭和47年2月20日指定。  普済院
ハコネコメツツジ 三宅島が分布の南限で、雄山の山頂あたりにあったらしい。平成12年の噴火で雄山は大きく陥没してしまい、火口近くは火山ガスの影響で植生が無い状態なので、今はもう見られないのではないか?昭和47年2月20日指定。  
リュウビンタイ 大型のシダ。かなり大きいので、初めて見ると、ちょっとびっくりする。自生しているものは、神着や伊豆の沢斜面で見られる。坪田では庭木のように植えている家もある。その他、「小金井小次郎井戸」のそばでも見られるが、これは植栽されたものかもしれない。昭和47年2月20日指定。  
オオシマハイネズ 阿古の今崎海岸で昭和58年噴火の溶岩上に多く見られるほか、富賀浜でも少し見られる。地面を這うように生育する。また、島内には庭木のように植えている家も見られる。昭和47年2月20日指定。  
三池浜の松 三池浜の海水浴場沿いにあった、防風林として植えられた樹齢300年のクロマツ林。平成12年噴火の影響で、全滅してしまったようだ。現地には根も残っておらず、往事の姿は全く無いようだ。昭和47年2月20日指定。  三池浜
ミヤケコゲラ コゲラの亜種昭和47年2月20日指定。  
タネコマドリ コマドリの亜種昭和47年2月20日指定。  
モスケミソサザイ ミソサザイの亜種昭和47年2月20日指定。  
ウチヤマセンニュウ 元々の主な繁殖地の八丁平が平成12年の噴火で雄山山頂ごと陥没して失われてしまった。現在は、伊豆岬が主な繁殖地として知られている。昭和47年2月20日指定。  
シチトウメジロ メジロの亜種で、伊豆諸島の特産。メジロよりも体が大きく、クチバシが長い(三宅島では、シチトウメジロ以外に、普通のメジロも見られる。)。昭和47年2月20日指定。  
オーストンヤマガラ ヤマガラの亜種昭和47年2月20日指定。  
坪田観音 平成26年11月7日指定。 坪田
御焼の黄泉の椎 令和4年8月1日指定 坪田
補陀落の椎 令和4年8月1日指定 坪田

三宅島の為朝伝説

為朝の打ち抜き岩(為朝打抜岩) 
源為朝が一矢にして打ち抜いたという伝説がある岩。けっこうデカそうだ。解説版があるのは坪田漁港の頭上だが、「打ち抜き岩」自体が在るのは、解説板から約1.5km離れたツル根岬。在る場所が崖下のため近付けないので、安全に見るなら「長太郎池」に降りる道から、「打ち抜いた」穴が分かるように見るなら坪田漁港に降りる道から、がいい。
為朝の袂石(たもといし)  
源為朝が、床几(しょうぎ。移動用の簡易腰掛け。)の代わりにするため、袂(たもと)に入れて持ち歩いたという石。
「七島文庫版三宅島絵図」に記載された「為朝腰掛の石」というのは、この石のことなんだろうか。
為朝の力水 
三宅島に逃れてきた源為朝が、飲んだらたちまち体力が回復し、生気がみなぎったという、山裾の水。
一周道路の道端にコンクリートの水槽が設けられているが、水槽の穴から水は出てないので、もう使われてないのかも。
案内標識や解説板などは無いので、知らないと道端にあるのに気付かず通り過ぎてしまう。
為朝神社(城ノ山為朝神社)
鎮西八郎源為朝を祭神とする祠。通称は「為朝様」。三宅島の為朝伝説では、討伐を受けた源為朝は三宅島に逃れてきて、伊ヶ谷(大屋敷)の城ノ山に館を築き住んでいたということなので、為朝神社はそこに鎮座している。為朝の力水と同じくバス通り沿いにあるが、やはり案内標識や解説板は無く、少し小高い処なので、さらに分かり難い。
為朝の力石
イナミヤ坂にあったという大きな丸石。現在は所在不明。

探訪記

1 本陣(農工大の学生の定番だった食堂)
  かつて農工大の農学部(府中キャンパス)近くにあった学生向けの食堂。
定番は「本陣ランチ」。
2 三宅城跡に行ってみた
  伊豆諸島の三宅島だけでなく、かつては大阪府にも三宅村があり、戦国時代には三宅城もあった。
3 小金井小次郎の碑
  三宅島で慕われた小金井小次郎の碑は、解説板もなくひっそりと、小金井市内の墓地にある。
4 三嶋大社〜廣瀬神社〜白濱神社
三宅島の富賀神社から遷宮していったということだが・・・。

5 伊豆岬灯台100周年記念式典
明治42年(1909年)6月1日に点灯した伊豆岬灯台が100周年を迎え、平成21年(2009年)5月31日に記念式典が催された。この日は内部公開もあり、中からハシゴで踊り場まで上がることもできた。
6 お台場ガンダム
平成21年7・8月のイベントで都立潮風公園に設置されていた等身大ガンダムを、人混みが嫌なので公開前に見物。 
7 鉄人28号
神戸復興のシンボルとして設置される等身大「鉄人28」号を、完成前だけど見物に。 
ついに、完成後も確認してきた。
8 三島鴨神社と溝咋神社
静岡の三嶋大社と愛媛県大三島の大山祇神社と合わせて「三三島」と称されるという、大阪は高槻市三島江の三島鴨神社。そして、その后神を祀るという茨木市五十鈴町の溝咋(みぞくい)神社。
9 多摩の「七ツ湯」を探して

10 グンダリ山はどっちだ?

フォーサーズ残党秘密基地

 デジタルの理想を追求したオープン規格「フォーサーズ」の始まりから終焉まで

外部リンク

フォーサーズ残党のブログ  
東京都三宅支庁  
東京都教育庁三宅出張所  
東京都島しょ保健所三宅出張所  
三宅村役場  
東京都小金井市 1978年(昭和53年)に三宅村と友好都市盟約を締結した、東京都小金井市の公式サイト。
長野県伊那市 1970年(昭和45年)に三宅村と友好町村盟約を締結した高遠町が合併した、長野県伊那市の公式サイト。
とよっちの三宅日記 三宅島の今を元気を徒然なるままに綴られている、とよっちさんの島日記。
東海汽船
新中央航空株式会社 2014年(平成26年)4月2日から、調布−三宅島便が就航開始。
東邦航空株式会社 東京愛らんどシャトル(ヘリコミューター)を運航。
東京文化財ウィーク 

その他

参考文献等 三宅島の文化財や為朝伝説などの記事作成にあたって、参照した図書など。

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